アメリカのリーディング・メソッド

音楽ライター山本美芽が、アメリカ在住の5年間に学んだリーディングメソッドについて綴ります。

クリティカル・シンキングについての資料と私の大学院時代の批判的思考

クリティカル・シンキングについて説明してある日本語のブログ記事でいいなと思うものをみつけました。http://blog.alc.co.jp/blog/bozo/169312

私自身は日本でもアメリカでクリティカル・シンキングを習ったことはありません。ただ、大学院に入って論文を読んで、順番にゼミでレビューすることを続けているうち、すごく批判的な読み方をするようになりました。

音楽教育の理論を勉強しはじめ、最初は、へえーそうなんだ、なるほどねえーと無批判にいろんな人のいろんな説をインプット、受け入れてどんどん信じていました。

その後いろいろわかってくると、

「なにを机上の空論をいってんのかしらねこの先生は…。現場がわかってないんじゃないの」(←とかいって私もその時点で学校現場には出てなかったですけど)

「ちょっとこの人勉強不足?」
「なんか意味不明だよこの論文」

などなど、とにかく、いろんな偉い先生や先輩研究者の方々のお書きになっているものが、非常にうそ臭く、浅く見えてきたものでした。

ここで大事なのは、自分のことを棚にあげること。
「だって自分だってたいした論文もかけないくせにいろいろ批判的なことをいうなんて」
的な謙遜は、いったん捨てることにしました。

自分でも、そのころは、なんだか目がつりあがってて、ちょっと斜めに構えていたような。何を読んでも「こことここがおかしい。もっと勉強してから原稿かいてほしいもんだわよ」とか心の中でつぶやいてたりとか。

もちろん、そんな中でも「うーむ…。この人の論文だけは文句がつけられないなあ」とうなるようなものがあり、そうした信頼できる研究者の書いたものに限って引用する、といった感じになっていきました。

自分のことは棚にあげておいたはずではありますが、そうやって批判的な思考回路が発達すると、自分が書いたものに対して「なにこれ。意味不明」という声が心の中から聞こえてくるんですよね。

どうして自分があんなに批判的になり、性格が悪くなっちゃったのだろう? 今でもよくわからないんですが、たぶん、大学院のゼミで音楽教育を専門としている先生方が、けっこう批判的な態度で論文にコメントしていたんですよ。

何か読むと「なっとらん」「けしからん」ってコメントするのが口癖の教授が指導教官で、ゼミが終わってから、友達と「けしからん!!」とかいって真似してたりとか(爆)。大学院のゼミですけど(笑)。自分ひとりで論文とか読みながら「けしからん!!」とかいってたりとか。

で、その批判的な態度というのは、やはり本を書くうえでも文章を描く上でも非常に役立っています。もちろん批判的なだけじゃ社会性がなくなってしまうので、そのへん、とげとげしい感じになってしまわないようにするのが難しいところなんですが。

逆にいえば、ものを書いている限りシビアで意地悪な見方をするのは避けられないなと自分でいつも思っていたのですね。「なんかえらそうに言ってるけど、ほんとなの、それ??」と、いつもどこかで思いながら何でも読んでますから。

私の場合、チェルニーの本を書いたプロセスは、まさにクリティカル・シンキングだったかもしれません。
みんながチェルニーをやったほうがいいといって我慢してやっている。でもその根拠はどれぐらいあるのか。実はないのではないか。問題点をみつけ、その対処法をいろんな人にインタビューしたり、文献を調べながら考えてまとめる、というものでした。

しかし、それがもしかしたら、クリティカル・シンキング的なものと若干つながっているのかも??

ということで、英語のクリティカル・シンキングファウンデーションのサイトもあるんですね。ちょっとこれからじっくり読んでみます。

http://www.criticalthinking.org/

自分のなかでは、大学院では2年もいったい何をしていたんだっけ?? 論文はいっぱい読んだけど、授業もけっこう少なかったし、いちおう修士論文は仕上げたけど・・・何を身につけたんだっけ? よくわからない?? という位置づけでした。でも、もしかして、クリティカル・シンキング的な訓練をしていたのかも。